Over Bridge

「時間のつくり方、つかい方」を考える。

訓育

訓育って言葉、非常に新鮮だ。

訓育
くんいく
discipline

知識の習得をおもな目的とする「教授」に対し,意志,感情などを涵養して望ましい人格を形成することをおもな目的とする教育作用。知育に対する徳育に該当し,また「しつけ」の意味に用いられることもある。(ブリタニカ国際大百科事典)

 教授については、やり方はHow toがあり、それぞれ身につけ方は決めっていたりするが、訓育についてはやり方は千差万別、人の意志や感情をどのように涵養するかというのは特に最近はタブー視されるような内容かもしれない。

というのも、やれリレーで順位付けしたら強要だなどという意見が生まれ、これが人格形成に役立つという議論の際はすごくセンシティブになってしまって建設的なアクションがとられていない感がある。僕の友人の先生なども育て方をあまりにも制限しすぎると何をやっていいのか考えられず、結局監督者(教育委員会や親御さん)などのご意見伺いで終始すると話していた。

 

人が本当にこれでいいのかなって思うとき、やり方のようなもの、いわゆる何かカテゴリーをつくり出してあげてその上でいまこんな議論があるよって人に話をしてあげた方が人は話を聞きやすいのかもしれない。

 

例えば、人の育て方なんてみんな思い思いでいいのよ!みたいにいわれたとしても、

仮に教育現場だったり会社の教育制度を考える現場だったりすると、それは困る、という話になる。

そのとき同じ話題を提起して話をするためにもカテゴリーという概念は必要だ。

まぁそこで知識の涵養だけではなく、マインドセットの涵養という意味での訓育というものがでたとき、僕はああ、このカテゴリーあるなぁとおもった。

 

訓育かぁ。

 

自分の訓育を考えてみよう。