Over Bridge

「時間のつくり方、つかい方」を考える。

はなみず

それは友達の家で迎えた朝だった。
「さ、さむい・・・。」

友達から借りた夏用の掛け布団をかけて寝たものの寒くて目覚める。そして時すでに遅し・・・。風邪をひいてしまった。

友達の家を発った後、2月で我が家が契約を終えるので新しい家を探しに街をうろつく。不動産会社の物件情報を眺め、いい物件あるなーと思って携帯のメモ機能に打ち込む。

「風呂なしトイレ共同4畳半月2万5000円@早稲田・・・魅力的だなー。」 
「一軒家月10万@早稲田・・・いいわ~ルームシェアしてみんなでプロジェクターを買って映画の上演会をやろうかしら・・・築50年か、丈夫に作られたんだなー」
 
病気になった自分は極端にのんきになる。夢はめくるめく広がっていき、頭のボーっとした感じもますますひどくなる。まずい、と感じて喫茶店に行ってお酒を頼む。そしてアフリカの本を読んで(◆アフリカ~動き出す9億人市場~)、こんなアイデアもあるなーと現地の風景を思い浮かべていたのだが、いよいよ「いかん。これは熱があるなー」と感じ、大学の保健センターに。

受付を済ませ体温を測ると37.4℃。微熱で安心した。田舎で生まれ育った分、天気の変わり目は空を見て推測したり、体調の変化はだいたい分かるので早めの手当てが出来る。得したなと感じていると早速看護師に呼ばれた2番の部屋へ。

宜しくお願いしますといった第一声、医者は、
「あれ、南国の人?俺も顔が濃いから沖縄の人と間違われるのだけど君の方が濃いねー、ははは!」
と言う。面白い人だなーと思って岡山の人ですといい、アフリカにいってて肌が黒くなったと説明する。その後は診察そっちのけで南アフリカでワールドカップが出来るのか?とかタンザニアはどうだった?とか話す話す。金曜日の夜だったので自分の後は診察する人がとりあえずいないとのことで1時間くらい話した。途中で看護士も入ってきてみんなで話し合う。 

授業はどうするのと言われ、とりあえずテスト頑張りますと話し、次の人が来たから続きは来週の金曜日にきてまた話そうとのこと。薬もきっちり1週間分もらった。

診察室を出ると馴染みの人が。あっ、うちの学部長だと思いお辞儀して出る。 

日常生活とは何気ないもので、意識していないと当たり前のことばかりだと感じてしまう。しかしいろいろなことに注意すると実は面白いものばかりだ。叫び声をあげて帰る高校生の女の子たち、停留所に停まってマイクを付けたままで同僚と話すバスの運転手、心が温まる瞬間もあるもんだ。

この風景がこれから先も見れるのかとも自分の頭に問いただす。政府主導のもとで海外からの技術獲得から重点産業のみ輸出志向に切り替わるなどしてこの国の経済は伸びてきた。戦後から1973年のオイルショック、1985年のプラザ合意を除いて急速な経済成長を遂げてきた後、東アジアへの海外直接投資も積極的に行った結果、「東アジアの奇跡」と言われたアジアの周辺国の経済成長の陰の主役でもあった日本。

今はインド・中国・韓国といった周辺国と激烈な競争を繰り広げざるを得ない時代になった。 

タンザニアにいたときも中国人が現地の人と一緒に道路やビルを建築する姿を見たり、韓国の電機メーカーであるサムスンやLGの電化製品がショッピングモールで軒を連ねている。これらの国は先の先の先行投資をしている印象があるし何よりどんどん市場を拡大している。

先進国のあらゆる製品が入ることがこの国にとっていいことなのかなとタンザニアにいて考えていた自分であるが、そんなことは有無を言わさぬ早さで彼らは進出している。 

日本はその頃どうなのかというと、先の見えない中を国全体で進んでいるようなどんよりした空気があるようにして思えない。将来のこの国の形を語るようなリーダーもいなければ、将来について誰も考えようとしているとは思えない。考えてみたとしても多くの人はネガティブなイメージを抱くだろう。

学生は片っ端から企業を探して、決まったところに行くという感じだ。如何に企業に入るか、それが至上命題になってしまっているように感じる。ここに入ってこんなことをするといった突飛かもしれないがそんな考えをもった人が少ないように感じるのだ。息詰まり感は否めない。

何がいいかは分らないし、自分はそんなに偉そうなことが言えるほど何かをしたわけでもない。だけど自分はどんな選択をするのか、選択をもって証明としていこう。 

うううむ、それにしてもはなみずが止まらない。 
今は早く風邪を治そう!