Over Bridge

「時間のつくり方、つかい方」を考える。

なめらかに、まっすぐに。

前回のブログから、はや2年が経っていた。
久しぶりにブログを書こうと思って画面を開いてみると、
こんなに時間だけが流れていたとは、、、自分にあきれてしまった。

2010年の9月に大学を4.5年で卒業して、
11月から正社員として現在の会社に入社。
生産管理で途上国の生産現場に赴いたり、マーケティングを担当してと
日本と海外をいったりきたりして現在に至る。 

仕事をはじめて今では2年半が経とうとしている。
入社当時は23歳だった自分も、今では25歳になった。

本当に月日が経つのが早い。。。

自分にとってのこの社会人生活、いま少しだけだが1年ごとに振り返ってみることにする。


・2010年11月~2011年11月 (入社1年目):
この年は 「傲慢さと自己への過剰評価」の自分の至らなさを痛感する1年だった。
正直学生時代に自分が行った経験、そして培った軸というものがあっけらかんと崩れた年だった。

11月から1か月間はマーケティング担当として、
新規の企画を先輩と運営し、12月から3か月ほどバングラデシュに駐在。
生産管理と品質管理を行い、その中でも主に調達のサポートや在庫管理を行った。
そして2月に日本に戻り、マーケティングチームとして、
法人との取引、広報、採用、造作にとかなり幅広い業務をてがけた。
特にその年の会社で一番大きな催しの責任者を行った。
経験値だけでいうとかなり幅広く、肉体的にもタフな1年だった。

総括するとやはり上記の2点の問題が際立った。
自分に対する過剰評価をこの年ではきちんと問題として認識
できないまま、過ぎ去ってしまったものだと思う。
今思うと恥ずかしくてたまらない年だった。

大学時代に学んだことは確かに重要だった。
それは自分が何が何でも目標に向かって進んでいき、何者かを
考え抜いた時間と経験が生み出したもの。それは意志と未来の像だった。

しかし目の前で突きつけられる瞬間の判断、
そしてその結果を自分はどれだけ自分の責任と感じ、糧とできたのか。

仕事は人と生み出すものであり、共に働くスタッフのことを考え、
その上にある目標を実現していく営み、これを苦いほど味わった。

・2011年11月~2012年11月 (入社2年目):
2年目は「上記2つの問題が浮き彫りに、そして新しい挑戦の年」となった。
1月からおよそ5か月ほど現地に駐在し、主に品質管理の仕事に携わった。

仕事に対するマインドセット、そしてスキルセットが圧倒的に欠けていることを
痛感した年だった。
しかし真摯に自分の不足している部分を指摘する上司、
そして仲間に助けられて、自分が「やっぱり駄目だなぁ」と情けなくなったとき、
無性に素直さが生まれた。

たくさん失敗した経験と、たくさん怒られた経験、そしてそれを克服している瞬間、
その経験こそが自分の中で消えない大切な何かになっているんだろうと感じる。

業務は新しい取引を任せてもらったり、先ほどの仕事の幅がひろくなってきたものだ。
責任が増え、仕事の深さがどんどん深くなっているのがその次の年だ。


 

アウトプットの場として

社会人になって、はや7ヶ月。
昨年の11月に入社して12月からバングラデシュへ駐在し、生産管理と品質管理、具体的には検品や資材調達、在庫管理を行った。
そして3月からはマーケティング部門に異動し、新規事業の創出、法人営業、物流、広報、そして造作など、幅広く活動を行なっている。

企業の活動をひとつの生き物のように立体的に、そして有機的な繋がりを見るという点で、今の仕事は非常に刺激的だ。ベンチャーならではの部門にとらわれない経験、そしてスピード感を肌で感じる。
そして自分の場合は、生産(開発)と販売(収益)の両面を体験しているという点で、大局を見ることができるはずなのだが、目の前の仕事をこなしているだけでは折角の大局も見れていなかったように感じる。

今回は、いままで吸収できたことを、少しアウトプットとして変換する、そんな作業にしようと思う。
そしてそこからいろんな声を聞けたら、そんなワガママで進めていく。 

まず生産地で自分の感じたこと。
1.前提は一つ下、スタンダードは一つ上。
2.核は「人」「天然資源」

そして日本に戻ってきて感じたこと。
1.原体験の有効性
2.プロモーションの有効性

まずは生産地の1について。
私の場合、学生時代にアフリカでサンダルの製造事業を興してみたことがあるが、そこで感じたこととして先に挙げた「前提は一つ下、スタンダードは一つ上」という考えがある。
ここでいう前提とは、「こんなことはできて当たり前だろう」という自身の先入観を指す。
この先入観をもったまま途上国と呼ばれるところで働いた場合、自分のなかの基準と周囲の基準との間でギャップが生まれ、それがもとでストレスを溜めて日々の業務の生産性、そして瞬間瞬間の判断力を鈍らせるというものがある。

これはバングラデシュでも通用した。
そしてこの前提はしっかり自分の中で認識する必要があると思う。
なぜなら明確な世界の基準は自分の中にあるものの方がマジョリティーである、したがって目指す方向を認識しているという点と、ギャップが存在することを感じて逆にその点を日本などの先進国で訴求ポイントにするということだ。ここでは資材調達などが良い例になる。

自身の認識と途上国での常識というギャップのうち、自分たちで改善できる部分は改善する。
反対に、それが難しい(文化的な要因であったり、インフラ整備といった長期的な時間を要する問題)ならば、そこはそれを知らない人々にとっては「驚き」のポイントとなる。
そして改善できる部分に関しては、上記に挙げた「スタンダードはひとつ上」という考え方を持ってくる。
つまり、こういうふうにしてみれば良いのじゃないかと絶えず効率のもとに整理される様々な要因(独立変数)を分析して新しい仕組みを作ることになる。スタンダードが認識されていない地域ではこの作業は新しい仕組みを作る上での可能性になる(言葉で言うのは簡単だが)。
したがって常に「スタンダードは一つ上」という考えをもっていようと自分は考えるのである。

次に2について。
先進国と途上国のギャップ、自分の場合、多くの人と話す中で「技術」と「感情」があると思う。
バングラデシュのジュートと柔らかいレザー、そして上半身裸でリキシャを押す人や茶を入れてくれるおじさんといったそこに「生きる人」が織り成す風景は、我々の忘れてしまったある感情を呼び覚ませるものだと思う。

私は「技術」と「感情」を繋ぎあわせて、「生きる」という愉しさと「こんなもの(人)がいたんだ」という新鮮で純粋な驚きを提供する。このサイクルを通じて、タンザニアといったら「ああ、あのサンダルの国か!」といったようにその国の代名詞を作るのである。そしてこのサイクルを通じて、人が興味をもって本当に目指しているものがあれば、それが勝負できる舞台がある、そんな土俵を作るのである。
例えば「自分はアメリカで○○の修業をする」といったように、大いに世界で切磋琢磨する、換言すれば完全競争できるよう、巻き起こしてみたい。

さて、日本に戻ってきてからの感じたことだが、これは後日に回そうと思う。
まだ自分の頭の中できちんと文章化していないし、ちょっとお茶を飲みたくなった。

最後に、在庫とモノの移動で世界を変えるプラットフォームビジネスの骨子を作るamazon、今後の動向が注目される。そしてこの企業が進むことで、攻殻機動隊のような世界が出来上がるのか、そしてそのとき小売はどのように変化しているのだろうか、その中の時代の一人として、中々興味深い。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/win/061207_9th/

哀愁の街に雪が降る

「時間」という概念は面白い。
例えば多くの人の言う「時の流れ」。実際に時の流れとはどんなもので、時とはどのように流れるものなのか説明しろと言われれば、自分は答えるのに窮してしまうはずだ。

時がどう流れているかは分からない。断続的な過去の記憶の集積と不確実な未来、その中で感じる今、もっと厳密には瞬間、ぶつ切りにしたこのスナップショットを彩るものは自分の心の拠り所、換言すれば原動力となる過去とわくわくする未来であることは以前ブログに書いた。瞬間をどう感じるのかで時の流れといわれるぶつ切りの時間を認めか否かができるのだろう。しかし時間を感じるというのは暇人の仕事。ただやることに集中すれば良い。そのときが一番自分が生きているし、またこうして自分との対話をするときに強力に援護してくれるものになるはずだ。

パズルがかちりとハマった今、周りの人に支えながら創り上げた舞台の上で自分はちゃんと役を演じきっていけるか、友達の家でヨーグルトを食べながら思っている。

瞬間を愛おしいと感じるときが最近多い。そんなときはきまって自分との対話がいつもに増して多くなる。次への力休めといったところか。


うなぎを食べたい土用の丑の日
買う金のないうなぎ屋の前。
思いっきり深呼吸をする換気扇。
頭の中では腹いっぱい。
いつか食べてやると誓うわせだの弁当屋。

裸の付き合い銭湯のなか。
モノマネ大会の劇場へ。
爺の苦り顔、若者の馬鹿話。
恋の慰めあったかいお湯。
それでも泣くのび太のほっぺ。
いつも笑いのネタにした。

結婚をした先輩の。
お家でいただく手巻き寿司。
そんな時代もあったねと 飲み干すビールは揺らいでる。


愉快な風景も悔しい風景も、様々な風景がスナップショットになる。
言葉にならない日々だったなーとほくそ笑むのである。
さて今日こそ生きるとしよう。

感情と論理の狭間

スタッフの父親が死んだという知らせがアフリカからきた。
タンザニアにいた頃、ザンジバルからダルエスサラームまでフェリーで帰っているときに二人で話したことを思い出す。

ひとりっ子の彼は世界有数のNGOで働いているのだが、母親が末期がんだった。それでも勉強してイギリスの大学院で学びたいと熱く語っていた姿を思い出した。

そして私は日本に帰り、昨日彼の父がなくなったと知った。

そんな自分にできることはサンダルを売ること。
今日はいつもより力を入れて、自宅から飛び出した。

交渉相手の方とサンプル品について話し終えたあと、いよいよ卸し交渉を行った。

フェアトレードなら卸しオッケーだけど、ビジネスならダメだ」

つまり訴求メッセージの問題。
「アフリカのかわいそうな人たちが苦しんでいます。だけどこのサンダルを買うと・・・」この売り方ならオッケー。
「物で勝負するのなら、うちは難しい」とのこと。

確かにフェアトレードでいくなら簡単に売れるかもしれない。しかしそれで本当にスタッフが「良いもの」を作ろうと意気込むだろうか。貧しいから買ってもらえたってスタッフと工員たちには言いたくはない。

貧しいのがすべてではない。

まずは消費者に物を見てもらってそこからメッセージを伝える。そしてそのメッセージとは「生きる力強さ」だ。

断らせてもらったが、率直にお話ししていただいて学んだことがたくさんあった。別のお店まで紹介していただき本当に感謝してもしきれない。経営者からの言葉を通じて、ビジネスとは如何に金を稼いで従業員を助けるかという視点もあるだろうし、社会に影響を与えるという視点もあると痛感した。一方は「生きるため」、もう一方は「理想のため」。様々な葛藤を繰り返した人の言葉は重い。

「私は子供がいるけど、こんなことを言いたくはないんだ。君だって家族を持てばわかるよ」と言われた。

日本のスタッフに携帯で断った旨を伝えると返信が来た。
フェアトレードって言葉は一般的には聞こえはいい。だけどフェアトレードよりビジネスこそが世界を変える、ってことを自分の店からも発信したいって思ってもらえるまでに啓蒙しなければならないのか。」

世界を変えるというのは安い言葉かもしれない、そうなのかもしれない。
今は振り出しになったことが悔しい。今からどうやって共感してもらうかPCの前で格闘だ。


あなたに意志はありますか。
自分がつくる何かで世界の誰かを驚かせたい。
自分がつくる何かで世界の誰かを愉しくしたい。
自分がつくる何かで世界の誰かを感動させたい。
そういう意志がありますか。
それが未だに前例もなく、どんなふうに形づくればよいのか誰も知らない。そんなものだとしたら、なおさらつくりたくなる。
行動していく意志がありますか。
自身の力では無理なんじゃないかという不安、そんなことをやって何になるのかという他人の批評が、少しずつ見えてきた形を、再び打ち消してしまう。
あなたの意志は、それでも打ち消されない強さがありますか。
自身の選択した道を信じて、その先で必ず世界の人が待っていてくれると信じて、なんとしてでも形にしようとする。
あなたにはそういう意志がありますか。
まだ形のないものを形にしようとするとき、その核となるのはその人の意志しかないのです。

SONYがずっとむかしに打ち出したメッセージ。こんな言葉はまだまだ言えない。

町工場

ここ最近は面白いことがたくさんあった。

1.大学でタンザニアサンダル製造記の授業をさせてもらう。
2.サンダルの卸先(予定)の下見
3.町工場のみんな

まず一つ目。
現在スワヒリ語の授業をとっているのだが、先日先生から「きみ、授業してみない?」とお誘いをもらった。

タンザニアの音楽について先生と話しているときに言われた言葉だった。
そして水曜日に授業を行った。

壇上に立ってニコニコしながら、
「なんか就職活動の圧迫面接みたいだからみんな気楽に聞いてくださいな」
といってスタートした。どういう背景で行ったのか、どんな事が起ったのか、食べ物は?製造中にあったトラブルは・・・

90分の授業のうち70分を話した。そしてその後質問。
「お金の面はどうされたのですか?」
「向こうの人たちとの文化的な違いは?」
「私だったらこんなサンダルを作りたいけどそれってどうですか?」
「オーダーメイドサンダルってどうですか?」

いろんな質問やアドバイスをいただき、結局休み時間までも話をさせてもらった。
自分の話す言葉で目を見開いて話を聞いてくれるのは大学生や先生たちも同じかーとうれしくなったし、いろいろなアドバイスをもらうことで視野が30度ほど広がった。そして最後に、
「サンダルがほしい人はぜひ言ってくださいね」
と宣伝も行った。


次に二つ目。
原宿にある、とある宮崎あおいアパレルメーカーの販売店にスタッフとお邪魔した。女性物しかないので男性ものはどこで売ってるかと聞くと舞浜・・・

すぐさま地下鉄に乗って舞浜まで行った。
するとイクスピアリの中にあるそうな。
「懐かしいなー、ここに来るのはM社のパーティーに参加した時以来だ」
と感慨深く思いながら店に行った。
ジュートで作られたサンダルやナチュラルな服がある。

「これはいけるぞ!」

とスタッフと叫び店を後にしたのだった。

そして三つ目。
アフリカから帰ってH田さんにも話したのだが、日本人ということを活かしてアフリカの人たちと関われないかということを考えている。

日本の強み、それは「ものつくり」だと思う。
しかし「ものつくり」、製造業は近年の新興国企業の台頭で日の目を見ない日が続く。特に町工場と呼ばれる部品や金型の製造、組立といわれる零細企業は特に深刻だ。

背景としてあるのは、
国際的にみて、現在の製造業の争点は「如何に安く作れるか」ということである。なるほどミクロの世界まで感覚をつかさどって部品を作る高い技術を誇る我が国製造業であるが、価格面は途上国に負ける。
特に製造業のうち部品の製造や組み立てなどは労働集約財と呼ばれるもので労働力が豊富にある途上国にシフトしてしまう。

経済産業省もそれについて言及しているのだが、解決策は見出し切れていないようだ。
http://www.google.com/url?sa=D&q=http%3A%2F%2Fwww.meti.go.jp%2Fcommittee%2Fmaterials2%2Fdownloadfiles%2Fg100225a06j.pdf

しかし本当に製造業は危ないのか?
見てみて聞いてみて働いてみようと思い、稲葉家の住人たちと会ってみた。お会いしたのは製造業の社長として様々な町工場に赴きブログをしている人たち。

「すごいぞ!日本の製造業!」
http://www.sugoizo-blog.com/

そして話をしたのだが、こんなに情熱あふれる人たちかー!と感動した。
生意気にも
「アフリカと日本、どちらも利になることはなんなのか、わかりません。
町工場が衰退している。だからダメになる。それもわかりません。
自分にどこまでできるのかわからない。だからわからないなりにやるんだし、頭がない分、体と青写真で動きます」
といったところ、
「青写真も描けない学生はダメだ。」
と言われた。そして町工場で研修をさせてもらえるとのこと。

よし、少し前が見えた。


ドグマをシカトするくらいの感情を絞り出すのである。

境地

哲学が成る。自分は何者なのか。何をする者なのか。

戦略が生まれる。どのようにして事を成すのか。

 

いつも感覚を大切にしている。

物事の大きな流れの中を、どう引っ張り、どう身をゆだねるか。ここは怒るべきか、冗談交じりに濁すべきか。

 

大局に対して最大限の炯眼を働かせようとする。そして自然に、ときには感情をむき出しに、人口的に、野生的に。

 

しかしどこかぎくしゃくしたときがあると、これはなんでなんだろう?と一日まるまる考えることがある。

もっと上達した境地に立つには。この問いを繰り返してもその答は常に変化していき納得できない。しかしそれを考えなかったらどれほど楽かとは感じるが、それではどうも気持ち悪い。

 

地に足をつけて、自分はひとりでここに立ったわけではない。その意識を忘れることのないよう。大切に思うこと。ありがとうと素直に言えること。

 

大いなる意識を持って事に当たる。大きく、どっしりと。

 

基準は常にひとつ上。今が自分の最高と思って事に当たってはいけない。まだ上がいるという上昇志向が、意識をより強固にする。

常に楽しむという姿勢。鼻から息を出して、さて事に当たりますかという姿勢。

真剣に取り組むこと。笑うときは笑う。怒るときは怒る。

 

そして自分の選択をすること。

この意識を慣らせたら、やっと自然になれるのだろう。

引っ越し

バンクーバー五輪が終わり、稲葉家もいよいよ装い新たにするときがきた。
・・・4年に1度の祭典、引っ越し。

東京に来てはや4年、いろいろあったなーと過去を懐かしみながら荷造りをした。家族からの手紙(両親ともメールができないため手紙がくる)や自分の日記、他にも過去のエピソードを語ってくれるものが見つかった。

引っ越しは稲葉家の住人が来てくれ、みんなでよいしょよいしょと行ったが、でるわでるわのゴミの山。

何を保存し、何を消すか、これが本当にむずかしい。

これはいるだろうなと保存したものであっても、結局何も使わず捨ててしまうこともある。

どんなことでも良いものとして保存するだけでなく使えるようにしたらいいのだろうなーと感じた。