Over Bridge

「時間のつくり方、つかい方」を考える。

ホタルの露

飛行機は旋回することなく、目的地に向け高度を下げる。

薄暮を見ていると、桜色の空に次第に家々の街並みが映る。

重力に引き寄せられる体に夢は終わったと告げ、体ごと母なる大地に引き寄せられてゆく・・・

 

先週から海外出張に来ている。

1週間の期間で開発のこと、生産のこと、人員のこと、これからのことを話に、

考えに来た。

 

私が住んでいるのは工房と隣接する小屋だ。

ミニマリストでもここまではミニマムにできないだろうという必要最低限のもの、

人間が生物として生きることを感じるものだ。

 

国内の乗り換えのため、現地に到着したのは夜10時。

そしてそのまま小屋についたのが夜11時。翌朝は8時から仕事開始だ。

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今回は1週間の期間だが、その中で印象に残ったことを書いていく。

 

役者の選択。高い視点をもつこと

どういった役回りを演じるか。

確か司馬遼太郎の本の一節だが「劇と人生で違うところがある。劇であれば舞台は

誰かがすべてのものをそろえてくれるが、人生だと自分でつくりだす」といったこと。

 

誰しも劇中で何らかの役割をもつ。

その役割を演じながら物語は展開する。

 

その自分の役割を何にするか、空から見下ろすように考えるのである。

本読了

久しぶりのブログだ。

日々のアウトプットをきちんと見える形でだそうと、本を読んでの感想をつづる。

 

1.経営に終わりはない

経営に終わりはない (文春文庫)

経営に終わりはない (文春文庫)

 

 著者の藤沢武夫本田技研本田宗一郎と二人三脚で世界的な規模の会社に育て上げた人だ。

技術屋でオヤジと愛称を持たれた本田宗一郎、そして実質的な経営者とされた

藤沢武夫の関係、そしてどのような軌跡をたどって世界的な企業にしていったのかに興味があったからだ。

以下は読む中で印象に残った文章を記載する。

・経営の経の字はタテ糸

経営の経の字はタテ糸・・・営の字のほうは、さしずめヨコ糸でしょう。縦糸がまっすぐに通っていて、はじめてヨコ糸は自由自在に動く。・・・これが「経営」であると思う。・・・このタテ糸を性格づけたのは本田のヒューマニズムであり、私のロマンシズムだったといっていいでしょう。

 

・社長には、むしろ欠点が必要・・・欠点があるから魅力がある。

そしてこの後に続く文章が本田らしさを作っていると思う。それは技術屋が社長になるべきだというもの。これは今も本田の伝統であるが、なぜ技術屋が社長になるべきなのか。それは「生産企業はどうしても技術が主体・・・人のやっていることが理解できる・・・世界的な観点から理解できる人材が社長になるべき」ということ。

 

この他にも非常に示唆の富む言葉があふれていて、たたき上げの実業家だからこそリアルな自分の言葉がたくさんあった。

全体としてこの時代の代表的経営者であるSONY井深大盛田昭夫と同じ匂いがした。

それは、

・従業員の能力を最大限発揮できる組織づくり(本田の研究所・SONYの設立趣意書)。

・会社は社会のためにあるものであり、社会>会社>自分たちという思想が徹底している。

・環境の変化に敏感に、(当時だと)自分たちの哲学だと思われそうなことも環境の変化を冷静に見つめて対応する。

ということだと思う。

 

常に自分も社会の中から見た企業、そして自分の活動を意識しないとと感じる。

またことあるごとに読み返すであろう。非常に有益な本だった。

 

 

 

 

日曜夜の四方山

また久しぶりのブログ記事の記載となった(もはやこれが冒頭の挨拶になっている)。

ここ最近は仕事人としての自分を見つめる機会に恵まれている。

 

精神的に自分を抑えるときや奮い立たせるとき、プレッシャーを感じるときなど

自分の中でどう対処していいかわからなくなりパニックになるのを避けるということを考え続けた。

 

一つが余裕を持つこと。そして必ず浅い息をしていないか絶えず自分を注視すること。

 

ずっと頭で理解できていたのに、今更感が否めないが、ここで学べていることは財産になる。

人のつながり

父の誕生日が先日あった。

病気になって5年、検査のたびに家族で心配したのだが、ようやく無事に5年経ち

完治と呼ばれる状態にまでなった。

 

祖父が先月亡くなった。

その知らせをきいたとき私は仕事をしていた。すぐに上司に伝え、同僚にも話し、

岡山に帰った。なんとも言えない気持ちが胸につっかえたまま、葬式でふっと涙がこみ上げた。自分で納得のいく言葉が出ない、なんとも言えぬ気持ち悪さと祖父にお礼らしいお礼をできないままとなったこと。どことなく、辛いな。この想いが溜まって、

誰かがなくなるということを意識して、今を愛おしく生きるんだろうなと痛感した。

 

大切な人と別れた。

切り出すのはすごく苦痛だった。ただしそれを聞く相手の方が苦痛だったんだと思う。

ただそれぞれの将来を天秤にかけた、というと言葉がきざかもしれない。

ようは自分に自信がなかったということか。

ただ僕はそうでもしないと、自分んが安易な道に行くと思って怖かったんだと思う。

 

出会い、別れ、成長、発達、苦しみ、いろんな感情は僕の人生を潤しも乾かしもする。

すべて受け入れて、洗って、留まるものは留まらせて、生きていくしかないのだろう。

 

痛みと成長

ビジネスというのは単に売り上げを作るだけではない。

人を人間として成長させるものがあるんだろうな、と最近よく思う。

 

本当に教えてもらってばかりだ。

自分の行うことで誰かを傷つけてしまったり、それがその人の家族を傷つけてしまったり、自分の責任で傷つく人がいる。

 

そして、目を背けてはならない現実がある。

生まれてしまったものは繕いようがない。

ただ正直に伝えるだけだ。結果は二の次になる。

 

そのような形で生み出されたものを誇りというのかもしれない。

苦しさを超えた先に義務がある。義務とはせざるを得ないということだ。

この人が変わる瞬間を作ってみたい。

こんなに迷惑をかけた人なのだから。

そしてこんなにともに接してくれた人なのだから。

 

強烈な感情は生み出すものでなく、生まれてきてしまうもの。

その瞬間に自分は対峙できただろうか。

 

そしてその義務を果たした先は、変化があると信じている。

 

 

夜更けの四方山

本質ってなんだろう。

本質の捉え方を指す言葉を探して、そこから本質の意味を考えてみたい。

 

たとえば、見抜く。

奥底まで見通すという意味だそうだ。

そして見極める。これは物事の奥底を知り尽くす。深いところまで会得するという意味。

 

となると、本質とは、対象に対して、その深い部分を見て、知るということになりそうだ。

 

何か、今あるもので本質を見えないか、やってみよう。

ちょうど目の前にコップがある。これは半円の持ち手があり、5cmほどの直径の淵に10cmほどの深さの陶器のコップ。

 

あ、面白い、様々な詳細を形容しながら、最後に固有名詞が来る。

コップ、と。

 

コップ以外の呼び方はないのだろうか。

 

器、容器。液体を入れて保管するモノ。

 

どれもそうだと思うのだが、しっくりこない。

 

どこがしっくりこないのだろう。

 

そうこれ!って感じがないんだ。

 

液体を入れるもの?

 

今日も夜は更けていくのでした。